"万能薬"は全てゴミ

 万能薬。この響きは、昔から様々な人を魅了してきました。
 秦の始皇帝のように直接求めた者から、お話の名脇役として出てくる竹取物語
 夢見たものは数知れず。そして、そのいずれもが夢破れていきました。と同時に、これを美味しいと思う人もいました。始皇帝を騙し日本に渡ってみせ徐福を始め、挙げていけばきりがありません。もっとも、彼らの現実的な"夢"は、それなりに叶ったようですが。

 ひるがえって現代。もちろん、そのまま「万能薬」「何にでも効く!」とするおバカさんは多くありません。「×××が広まらないのは(患者が減って困る)医学界の陰謀」などと言われれば、ほとんどの人は警戒するでしょう。つまるところそれは、「私を信じれば御利益がある(だからお布施を)」と言うカルト宗教と何一つ変わらないわけですから。

 でも、一皮剥けばどうでしょうか。たとえば、昨年死者を出したホメオパシークロレラ、あるいはEM菌。いずれも同一商品・手順が様々な病気・事態に"対応"することを謳っています。実質、万能薬と変わらないわけです。

 間違いなく、"万能薬"は理にかなっています。科学的という意味ではありません、商売上合理的と言うほどの意味です。商売の鉄則として"お客さま"は多ければ多い程いいのですから。
 具体的には、がん、アトピーリュウマチ、糖尿病、アレルギー辺りでしょう。慢性の、それも致命的でないものであれば言うことはありません。アガリクスのように一病に特化した商品でない限り、謳う動機は十分にあると言えます。
 また時事ネタとして、東日本大震災後は放射線に"効く"ものが激増しました。既に薬事法違反で逮捕者も出ていますが、今後もしばらくこの傾向は続くでしょう。

 何にでも効いてしまう、魔法のような薬。そんなものが、果たしてあり得るのでしょうか? もちろん無いと言い切るのは簡単ですし、笑うのはもっと易しい。けれどもそう言えるようになったのは、実はそこまで昔のことではありません。
 ほんの150年ほど前を考えてみましょう。そのころの人は、誰しも同じような原因で亡くなっていました。天然痘、麻疹、肺結核赤痢コレラ、インフルエンザ。平均寿命はやっと30代に届こうかというところです。
 この平均寿命の短さは、主に乳幼児死亡率の高さが原因でした。当時はまだ細菌やウィルスが発見されておらず、必然消毒に注意が払われていません。赤子が死産し、産婦が産褥熱に倒れることは珍しくもない。出産はまさに命がけでした。事実、女性の寿命の方が長くなったのは、消毒法や妊婦の栄養状態が改善された19世紀以降のことです。
 栄養状態も見逃せません。同じ病気でも、栄養状態が悪ければ死亡率は上がります。日本では季節性インフルエンザと同じ0.1〜3%程度の死亡率(それも予防接種で発症が防げる)麻疹も、途上国での死亡率は5%、というこようなことはザラです。

 ここで少し、細菌やウィルスが発見される前のことを考えてみましょう。そこでは様々な感染症が、同じように対処されていたはずです。というより原因が分かっていなかったため、症状に対応する以外になく、病気の原因自体に手の出しようがなかったわけです。熱は熱であって、頭を冷やし安静に、効くとも知れない煎じ薬を飲ませる。当時はそれ位しかやれることはありませんでした。
 医学はその分からないものを何とか分類し、それぞれの原因を探ることで進歩してきた、と言い換えてもいいでしょう。現代では同じ熱であっても、安静にしておけば回復する風邪からインフルエンザまで様々ですし、対処法もそれぞれです。単なる風邪に抗生物質では耐性菌を出現させるだけですし、敗血症に抗生物質を処方しないのはダメでしょう。
 やや細かい話しになりますが「がん」もそうです。一口に「がん」と言っても発生箇所によって様々です。その分類が分かってきたのはつい最近、20世紀後半の話です。特にここ20年、血液のがん(白血病悪性リンパ腫)の治療成績が劇的に向上したのは、分類に分類を重ねた血液学者の血のにじむ努力の結晶に他なりません(かつての不治の病のイメージから、代替医療に走る親御さんが未だいらっしゃるのは残念なことです)。

 それでもまだ、存在を諦めきれない方がいらっしゃるかも知れません。
 けれども、現実にそんなものがあれば、まず国家が放っておかないのです。
 日本に限らず、世界各国は医学の複雑化と、それに伴う医療費の増加に悩んでいます。国民保険や衛生など、国は医療に少なからぬ金額を出さざるを得ないのです。医学界と国家、製薬企業と国は、普段思われているほど親しいわけではありません。
 製薬企業にしても同じことです。現代の巨大企業は血眼になって画期的な新薬を探しています。本当に効く薬であれば、先進国を中心に莫大な売り上げを見込めます。しかも取引相手が各国の国民保険なので、取りっぱぐれもありません。たとえばファイザー製薬の高脂血症薬リビトールは、昨年だけでおよそ1兆円を売り上げました。
 万能薬とまで行かずとも、がんの特効薬などが見つかった日には、控え目に見て数十兆円単位で利益が転がりこんでくるのです。それも、特許期間が切れる20年後まで毎年。
 そんな国や業界をまたにかけた話が存在するでしょうか?
 答えは〈否〉でしょう。その"陰謀"は単に、こう言いたいだけなのですから。
「要は、お前のカネを寄越せ」
 本物の薬であれば、製薬企業や国に売り込めばいいのです。それが出来ないのは、個人相手に細々稼ぐほか無いことの証明に他なりません。

 もっとも、"万能薬"に近いものならいくつか、あることはあります。
 それは何か? 適度に野菜と肉を食べ、運動をこなし、ストレスを溜めすぎない。本当に健康にいいと断言できるのは、結局この位しかありません。

 "万能薬"や"奇跡"。
 そんな"真実"に比べてこれは、あきれるほどつまらない、ただの事実に過ぎません。
 それでも、たとえ守れないとしても、このことを覚えておいて頂きたく思うのです
 こう覚えておくことは、すんわち万能薬をきちんと断念することに他なりません。
 何かを"効く"と薦められたら、その他には何に"も"効くのか確認しましょう。
 何かを"効くらしい"と薦める前に、その他に何に"も"効くのか確認しましょう。
 ただそれだけで、焦りのあまり秦の始皇帝を気取ることも、意図せず徐福に荷担してしまうことも避けられるのですから……。

井戸水と地震雲 震災に学ぶ生存者バイアス2例

 過日、震災に関してひとつの記事が載っていました(※URLを紛失してしまいました。ご教授頂けると助かります)。記事というのも気が引けるくらい、ありふれた言い回しのものです。

「井戸の水が引いたのを見て逃げた。すぐ後で津波が来た」

 言えることは、これが死を招き得る代物だ、ということです。
 記事が嘘だ、と言っているわけではありません。井戸の水が引いたのも本当でしょうし、逃げて無事だったことも事実なのでしょう。
 けれども、こうも考えられないでしょうか。

「井戸の水が引いていない、と安心して避難しなかった人は生き残らない」

 生き残らない、というのは、単に居合わせた人々が亡くなるというだけではありません。水が引かず、安心したまま被災したとします。そして生き延びたとしても、TVもラジオも無かった100年前ならいざ知らず、後々で「井戸の水は引かなかった」とこぼすでしょうか。同様に、井戸の水が引いて逃げたとして、津波が来なかった時はどうでしょう。

 その声は「井戸から水が引いた」との言い伝え通りの(浸透しやすい)声より、ずっと小さなものになりましょう。少なくとも私なら、井戸を見に行ったこと自体について口をつぐみます。冷静に考えて、井戸水も津波も、ともに地震が原因だから同時に起こる時もあるかも知れない、という位のものです。そして井戸の水を見るだけでは、それを区別するのは困難。NHKを見る方がよほど確実でしょう。

 声が大きい強者、即ち生き残った者の論理。それが生存者バイアスなのです。

 地震に関して言えば、もうひとつ、地震雲が根強い代物です。ここではGoogleのリアルタイム検索で、地震雲について分析してみましょう。

 3月11日の午後三時、すなわち地震の直後から急激に増えていることが分かります。これは、「そう言えばあの時……」ですね。
 同時にグラフを長く取ると、平常時であっても散発的にささやかれていることが分かります。

 一見もっともらしい話の裏側で、数多く外れ続けているんです。本当になったものだけが「生き残る」訳です。

 ありのままの私たちは、思っているほど獣から遠くはありません。言い伝えや直観を素朴に信じることは、近代以前、パスカルフェルマー以前の世界に生きることに他なりません。今どうして中世の人たちを笑えましょう。

 だからこそ、時折は身に付けている数々の偏見(バイアス)を考え直してみては……というと、少し大げさでしょうか。

 成功者の体験談にしろ「地震予知能力」にしろ、生き延びた部分が目立つ側面はあるでしょうから。

とりあえず始めてみる。

 本家サイトを基本的に文学と翻訳にしておこうと思い、分離してみんとす。ぶっちゃけ出版用原稿の様子見って側面もありますが。

 一応、有益かな、と思う文章書く予定だけはたててみる(順不同)。

・3.11で放射能が気になりだした人のための疫学入門

・体験談は読み飛ばせ 実感ではダメなわけ

・がん医療の破壊者たち 近藤誠・文藝春秋安保徹ほか

・証拠にも序列あり エビデンスレベルの話し

・JTに学ぶ統計的詐術、あるいは今から日本たばこ産業を訴えるあなたのために